真田幸村の陰に隠れた名将・毛利勝永とは?大坂の陣で“本当に強かった男”

真田幸村は知っている。でも毛利勝永は?

戦国時代の終わりを語るうえで、真田幸村の名前を知らない人は少ないでしょう。

大坂の陣で徳川家康の本陣に迫った武将。
「日本一の兵」と称された、戦国最後の英雄。

戦国無双でも戦国BASARAでも。戦国時代を題材とした作品には必ずといっていいほど登場しますよね。私自身は小学生のころ図書館で漫画で読んで知りました。最近アマプラで真田丸もやり始めたので、私も暇をなんとしても作って見ようと思います。

では、毛利勝永という武将をご存じでしょうか。

歴史好きの方でなければ、あまり聞き慣れない名前かもしれません。真田のように一族揃って有名というわけでもないのも一因かもしれません。

しかし、大坂夏の陣における実際の働きを見ると、毛利勝永は真田幸村に劣らない、むしろ局面によっては幸村以上に重要な働きをした名将だったともいえます。

大坂方が頼った主な武将、真田幸村、長宗我部盛親、明石全登、後藤基次らとともに、大阪五人衆としてエース級とされています。


毛利勝永とはどんな人物か

毛利勝永は、豊臣方として大坂の陣に参加した武将です。

もともとは関ヶ原の戦いで西軍に属し、敗戦後は父とともに土佐の山内家に預けられていました。その後、大坂城に入り、慶長20年、つまり1615年の大坂夏の陣で豊臣方として戦い、最期は大坂落城の際に自害したとされています。

名前に「毛利」とありますが、中国地方の大大名である毛利元就の毛利家とは別系統です。毛利じゃなくてもともと森だったとか。


大坂夏の陣での毛利勝永

毛利勝永が特に輝いたのは、大坂夏の陣の最終決戦、天王寺・岡山の戦いです。

この戦いでは、豊臣方は圧倒的に不利でした。
冬の陣の和睦後、大坂城の堀は埋められ、防御力は大きく失われていました。家康は和睦によって大坂城の防御力を削ることを狙い、結果として大坂城は難攻不落の城ではなくなってました。

そのような状況で、豊臣方は城にこもるだけでは勝てません。
最後は野戦で勝負するしかありませんでした。

この最終局面で、毛利勝永は天王寺口の大将格として、真田と近い陣営で戦います。


「幸村が家康を追い詰めた」だけでは見えないもの

大坂夏の陣といえば、真田幸村が家康本陣に突撃した場面が有名です。

もちろん、これは非常に劇的です。
物語としても映える。
だから後世に語られやすい。

しかし、その突撃が成立した背景には、前線で徳川軍を押し込んだ毛利勝永の働きがあったと見ることもできます。

言い換えるなら、

毛利勝永が戦場を崩し、真田幸村がそこを突いた。

この構図です。真田丸でも少し図解の絵が出ただけですが、圧倒的な数を、毛利軍が蹴散らし、それで切り開かれた家康までの道を真田が突撃したという状況です。

「惜しいかな後世、真田を云いて、毛利を云わず」という評価が残るほど、毛利勝永は真田幸村に劣らぬ活躍をした武将として語られています。

この言葉は、毛利勝永というとんでもないチートキャラの知名度が低いという不遇をよく表しています。


なぜ毛利勝永は有名ではないのか

では、なぜ毛利勝永は真田幸村ほど有名ではないのでしょうか。

理由は、実力ではなく語られ方にあると思います。

真田幸村には、物語があります。

父・真田昌幸との関係。
関ヶ原後の九度山での幽閉。
真田丸での奮戦。
そして家康本陣への突撃。

非常にわかりやすい英雄譚です。

一方で毛利勝永は、派手な象徴が少ない。
しかし、戦場では極めて強い。

つまり、毛利勝永は
「物語の主人公」ではなく、「現場で結果を出す実力者」
だったのだと思います。


実力と知名度は一致しない

ここで少し、仕事の話に引き寄せます。

私たちの仕事でも、似たようなことがあります。

本当に実力がある人ほど、目立たないことがあります。
派手な発信をする人の方が知られやすい。
でも、現場で支えているのは、別の誰かだったりする。

毛利勝永という武将を見ると、そんなことを考えさせられます。

歴史に名前が大きく残る人。
実際の現場で大きな役割を果たした人。

この2つは、必ずしも同じではありません。


まとめ

毛利勝永は、真田幸村ほど有名ではありません。

しかし、大坂夏の陣における働きを見ると、豊臣方の中でも屈指の実力者だったことは間違いありません。

真田幸村が「物語になる英雄」だとすれば、
毛利勝永は「現場で戦局を動かした実力者」です。

歴史は、どうしてもわかりやすい英雄を中心に語られます。

しかし、その陰には、確かな力を持ちながら十分に語られてこなかった人物がいます。

毛利勝永は、まさにその代表のような武将です。

真田幸村を知っている方にこそ、ぜひ毛利勝永という名将にも目を向けていただきたいと思います。

真田幸村には父親、ひいては武田家から続く徳川との因縁、生き残った兄信幸など、後世に伝えられるバックグラウンドが多かったわけですが、

毛利勝永は大坂の陣、なんなら冬の陣はいまいち活躍できず、夏の陣で急激に大活躍した武将なんですよね。

戦国最後の大合戦大坂夏の陣。戦国最期のときに一瞬だけ、超新星爆発のように輝いた毛利勝永。

北条早雲から始まった戦国時代の最期を飾るにふさわしい、真田幸村に勝るとも劣らない武将だと自分は思います。

時には全然税理士業務と違う事が書きたくなる日もあるのでした。

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澤村
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